2017年12月18日月曜日

研究と教育の間

私が働いている大学は、旧帝大なので「世界的な研究拠点」を目指す大学だろう。自分の人生を有意義にしたいと考える学生にとって、世界的な研究拠点を目指す事は、彼/彼女の目的に合うだろうか。最先端の仕事を比較的短時間に行う必要がある今日では、教員が自分の専門とする狭い分野で、続きものの研究をする事になりがちだ。この狭い専門分野は、会社で働く際に役に立つとは限らず、むしろ基礎研究に近い場合は、知的訓練のメニューとしか役立たない場合が多かろう。基礎研究は、これまでも社会の贅沢品というか、今は役立たない先行投資だった訳だし。

では逆に、今社会に出て役立つ最先端の仕事を大学でやる、というのも難しいだろう。これは企業の研究所が力を入れてやっており、同種の事をやる必要は無い。産業に役立つ研究を勧める流行は、この狭間を埋める努力と見なせるが「社会ですぐ役立つ」と「最先端」の両立は難しい。

1年又は2年働いてくれる指導学生は、教員にはありがたい。研究にはどう工夫しても、相当な単調作業があるが、 学生はこれをやってくれる。しかし、学生の希望である「社会で役立つ」と、各教員ができる「最先端の仕事」には、かなりの解離がある。卒業研究として普通は、研究室で積み重ねてきた研究の継承と発展、をやる事になる。もし「社会で役立つが最先端でない」と「社会で(今)役立たないが最先端の仕事」を学生が選ぶ事になったら、後者になるだろう。

1教員が多数の学生を指導する例を傍から見ると、学生達のテーマは殆ど同じに見える。修士論文の発表会では「これ昨年聞いた」とか「前の人と同じネタを違う風にやった」例を良く見る。恒常的に研究室を運転するには、計画的にテーマ、研究発表、論文を生産せねばならないからだ。最先端で成功の見込みの高いテーマを探すのは難しく、それらを毎年例えば3名の学生に与えるのは、私には難しい。続きものなら出来ると思うが。

「簡単でおいしい」事は既に誰かがやっているため「ぎりぎり出来る所」を狙うので、失敗しながら進める事になる。で3つの解決案が考えられたとして
(1) これを3人の学生に試させる
(2) 1人の学生に順に試させる
(3) 教員が予備検討をして、有望なものを1人の学生に試させる
私は(3)でありたいと思っているが、(1)を疑う例を見かける。これは教員の能力不足を学生に補填させることではないか、と疑っている。



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